IN/OUT (2024.5.5) |
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大型連休も、ほぼ終わりですが、最後の最後に月曜も休みというのはお得感がありますね。 最近のIN”Celebrate "International Jazz Day" with BLUE NOTE TOKYO ALL-STAR JAZZ ORCHESTRA directed by ERIC MIYASHIRO with special guest MONTY ALEXANDER” @ ブルーノート東京 (24.4.29)ブルーノート東京オールスター・ジャズ・オーケストラ(以下、BNT All-Star Jazz Orchestra)の公演を観に、ブルーノート東京に行ってきた。2日間公演の1日目。この公演は、4月30日の”International Jazz Day”記念ということになっている。 スペシャル・ゲストはMonty Alexander。ジャマイカ出身のレジェンド級ジャズ・ピアニストだ 。彼は、5月1日・2日に、ブルーノート東京で公演(80歳の誕生日記念!)を行うことになっている。ブルーノート東京でソロ公演を行うミュージシャンが、ソロだけで無く、BNT All-Star Jazz Orchestraと共演する公演も行うというパターンがたまに有るが、私には、それまで聴いたことが無かったミュージシャンを試してみる、ありがたい機会だ。 今回のBNT All-Star Jazz Orchestraのメンバーは、 演奏開始。まずは、意表を突いて”20th Century Fox Fanfare”。Alfred Newman作曲の、20世紀FOX映画の冒頭に流れるお馴染みのファンファーレだ。エリック・ミヤシロ曰く「意外な曲から始めてみたのだが、1st showではお客さんは引いていた」とのこと。いやいや、2ndでは、しっかり盛り上がりました! そこから、Cory Wongの曲を続けて演奏。カッティング・ギターの名手として名高い彼の曲を、ビッグ・バンドにアレンジするのが、流石、エリック・ミヤシロ。 その後、Chick Coreaの”Got a Match”。ここでの川口千里のドラム・ソロが、特に見事だった。私が、BNT All-Star Jazz Orchestraのライヴを観るときの最大の楽しみは、彼女のドラムスだ。カッチリした正確性とパワフルさの兼ね合い、そして、演奏中の笑顔も相まって、非常に気持ち良いのだ。 もう1曲、Snarky Puppyの曲を演奏した後、ゲストのMonty Alexander登場。私が抱くジャマイカ人のイメージ通り、陽気で人懐っこい雰囲気で、ポロポロとピアノを奏で始め、自然にバンド演奏になだれ込んでいく。カリビアン風味溢れる3曲を披露したが、演奏中もずっと笑顔でバンド・メンバーとアイ・コンタクトを交わし、観客へのサービスもたっぷり。特に、3曲目の ”Sly Mongoose”では、ピアノだけで無く、鍵盤ハーモニカやヴォーカルも披露。ゲスト・ミュージシャンと言うよりも、Montyがバンドを牽引している感じすらしてくる。結果、ステージ上も、観客席も、皆、笑顔だ。 Montyが退場して、本編ラストは”Spain”。これまでは、指揮に専念する場面が多く、トランペッターとしては抑え目だったエリック・ミヤシロが、ラストでハイノートを炸裂させる。カッコ良し! アンコールで、Montyが再登場し、 Bob Marleyの”No Woman, No Cry”と”I Shot The Sheriff”のメドレーを演奏して、全編終了。 いつ観ても楽しいBNT All-Star Jazz Orchestraだが、今回はゲストのMonty Alexanderのお人柄がプラスされ、ステージ上の皆さんが本当ににこやかに演奏していたように思う。当然、観ている我々も、すごく楽しい。そして、どの曲でも川口千里のドラムスに見せ場があったことも、私としてはとても嬉しいライヴだった。 ”Slotherhouse” (24.5.1)凶悪なナマケモノが、大学の女子寮で殺戮の限りを尽くすという映画を観てきた。邦題は「キラー・ナマケモノ」。 原題は、「ナマケモノ=sloth」と「屠殺場=slaughterhouse」をくっつけた駄洒落のようなタイトル。製作陣は、この馬鹿馬鹿しい駄洒落一発で、93分間のホラー&コメディ映画を作り上げた。パナマから密輸入されたナマケモノが、その愛くるしい見た目で女子寮のマスコットとして人気になる。しかし、そのナマケモノは、恐るべき知能と殺人能力を持っていたのだ! 次々に血祭りに上げられる女子大生達。女子寮は、まさにSlaughterhouseに! 実にアホらしいアイディアだが、ストーリーや演出だけを見れば、シリアルキラーが若者を襲う数多のホラー映画のあるある展開に忠実な作劇になっている。ただし、そのシリアルキラーがナマケモノ。しかも、こいつがどう見てもぬいぐるみ。CGを一切使っていないので、複雑な動きは出来ない。結果、肝心の殺戮シーンも、観客が想像力で補わなくてはならない(なので、ホラー映画にしては、スプラッター描写は控え目)。このチープさと陳腐な設定が相まって、どうしようもないB級映画感を醸し出している。 映画としては全く評価できないが、妙に癖になって憎めない作品だ。そういう意味では、Godzilla x Kong”も評価とは違う軸で癖になる映画だった。巨額の予算をかけたVFXと強引な勢いで押し切るゴジラに対し、チープさを逆手に取ってユルユルの脱力系で煙に巻くナマケモノ。ベクトルは真逆だが、どちらも、徹底的に振り切っている。 と言う事で、これはこれで面白かったのだが、この手の映画って、悪乗りしてシリーズ化しがちなのが心配である。本作に限っては、馬鹿馬鹿しすぎて2匹目のドジョウは難しいと思うのだが、どうだろう? 「葬送のフリーレン展 ~冒険の終わりから始まる物語~」@池袋・サンシャインシティ 展示ホールC (24.5.3)山田鐘人(作)・アベツカサ(画)による漫画、そして、日本テレビ系で放映されていたアニメ「葬送のフリーレン」の世界を追体験する企画展を観に、サンシャインシティに行ってきた。 いわゆる「異世界」を舞台に、勇者・戦士・僧侶・魔法使いで編成されたパーティー(ロールプレイングゲームにおけるチームの意)が魔王を倒す、というアニメやラノベは掃いて捨てるほどある。しかし、「葬送のフリーレン」は、魔王を討伐した後からストーリーが始まり、魔王との戦いは直接的には描かれないのが新機軸。主題は、千年以上の寿命を持つエルフ族の主人公が人間の事を知ろうとする旅路を描くことにある。Web上で無料公開されていた漫画の冒頭部分を見たのをきっかけに、私にとって、久々にハマったアニメである。 GW中のサンシャインシティは、この他に、「プラレール」、「ケロロ軍曹」、「名探偵コナン」などなど、集客力の高そうなイベントが開催されていて、大変な賑わいだ。「葬送のフリーレン展」も、時間指定の整理券を入手してからの入場が強いられる。 肝心の展示だが、放映済みのTVアニメのストーリーを、そのままパネル等で説明するのがメイン。正直、驚きは無い。 それでも、名場面を立体造形で見せるところは、イベントならでは。 蒼月草に囲まれたヒンメルの銅像や、 ただ、作り込みが甘く、チープ感を感じてしまうのは仕方ないか。 そんな中、写真撮影のため、長蛇の行列が出来ていたのが「ミミック」。ここに上半身を突っ込んで、ミミックに喰われそうになるというお約束のコミカル・シーンを再現出来るのだ。 ということで、マニアックさは皆無。予想外のサプライズも無い展示ではあった。アニメの製作手法がアナログだった時代は、セル画の展示だけでも有り難みのある展覧会になったと思うが、今では、それも無いしなぁ。とは言え、未完の作品なので、次期TVアニメが無事製作されるためには、このようなイベントを使った人気の維持策も必要だろう。そして、それには乗っかっていこうと思うのである。 「悪は存在しない」 (24.5.4)ベネチア国際映画祭で銀獅子賞を獲得した濱口竜介監督の新作を観てきた。上映館、Bunkamura ル・シネマのロビーには、銀獅子賞のトロフィーが飾られている。 この作品は、濱口竜介監督の前作「ドライブ・マイ・カー」で音楽を担当した石橋英子から、即興演奏のための映像作品を依頼されたことが発端となり、濱口竜介と石橋英子の何度にも渡るやり取りを経て、完成したということだ。そのせいか、映画の冒頭しばらくは、環境音楽のヴィデオを観ているようだ(美しい自然の風景と音楽の心地良さで、強烈に睡魔を誘う…)。 しかし、主人公とその娘が暮らす自然豊かな高原に、グランピング施設を作る計画が持ち上がるところからストーリーが動き出す。芸能事務所がコロナの補助金目当てで始めた杜撰な計画に対し、環境破壊を心配する地元住民の間に動揺が広がる、という展開になってからは、一気にストーリーに引き込まれる。 正直、娯楽映画としての面白さは希薄。主人公を演じているのは、演技経験が無いスタッフを監督が抜擢した人(朴訥とした台詞回しに、妙に説得力はある)。地元住民へのグランピング施設の説明会の様子や、その計画をサポートしているコンサルタントの言動は、ドキュメンタリーのようなリアルさだ(仕事でコンサルと関わったことがある人は、皆、苦笑するんじゃないかな)。 演出のテンポは独特だが、画面への吸引力が凄い。主人公が薪割りする様子を延々と映したりしても、何故か、冗長に感じないのだ。 ストーリーが徐々に進み、芸能事務所のグランピング施設担当者も、決して、悪人では無いことが分かってくる。このまま、地元民と理解し合っていく緩いエンディングに進むのかと思いきや、最後に、とんでもない背負い投げを食らわせられる。環境音楽のヴィデオで始まり、ドキュメンタリー風になった作品は、最後、寓話的/神話的と言えるような雰囲気に着地する。これには、度肝を抜かれた。正直、私には、(いくつかの仮説は考えられるが)結末の意味を理解出来ていない。 明確な説明をせず、観客に解釈を委ねるエンディングというのは、本来、私は好きでは無い(と言うか、面倒くさい。製作者の上から目線のような感じも受ける)。しかし、この作品については、この投げっぱなしのようなエンディングに納得させられてしまう。画面の力、石橋英子の音楽、素人役者の演技。これらを見事にコントロールする監督の力量、恐るべし。という印象だ。 月曜の予定も含め、映画4本、ライヴ4本、展覧会2本、その他諸々。中々に忙しい連休でした。 |