IN/OUT (2025.6.8)

梅雨入り間近の、蒸し暑い曇天。というか、気象庁に宣言してもらわなくても、梅雨で良いじゃん、という気もする今日この頃です。


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”Quand vient l'automne”25.6.5

TOHOシネマズシャンテFrançois Ozon監督の新作を観てきた。新作が公開されれば必ず観るお気に入りの監督の一人なのだ。邦題は、直訳で「秋が来るとき」。

舞台はブルゴーニュの田舎。主人公は80歳の女性。独り暮らしの彼女の元に、パリに住む娘と孫が休暇でやってくる。しかし、自ら森で採って料理したキノコを振る舞ったところ、食中毒で娘は病院に担ぎ込まれる。この母娘、仲が上手く行って無さそうで、剣呑な雰囲気が漂う…。

やがて、ある事件が起き、孫は主人公と共に田舎で暮らし始める。基本的な登場人物は、主人公と、その娘と孫。そして、主人公の親友と、刑務所から出所したばかりの親友の息子の2家族だけ。フランスの田舎の美しい風景の中、一見、淡々と物語は進むが、通奏低音のように、不穏な雰囲気が漂い続け、主人公と親友が抱える過去の秘密が明かされる。

タイトルやポスターから、ほのぼの田舎暮らし映画のような雰囲気と見せかけて、実は、「罪」と「赦し」をテーマにした、深く、重い作品だ。冒頭の教会のシーンで、神父が「マグダラのマリア」について説いていることが伏線になっていたり、死んだはずの人間が実体を持って語りかけてきたり、主人公の複雑な内面をさり気なくも残酷に描写したり、Ozon監督の変幻自在の語り口が冴え渡る。

それと同時に、地味ながら、素晴らしい色彩と構図の映像が続くのも、Ozon監督らしい。見終わった後もズシーンと重い物と、ほのかな暖かさが胸の内に残り続ける、見事な映画だ。


「黒の奇跡・曜変天目の秘密」 @ 静嘉堂文庫美術館25.6.7

静嘉堂文庫美術館南宋時代(12~13世紀)の中国で作られ、世界に3点のみ現存する東洋陶磁の至宝「曜変天目」。その中でも、最高の品とされるのが、静嘉堂文庫が所蔵する国宝「曜変天目(稲葉天目)」。そのご自慢の品を中心に、工芸の黒い色彩をテーマとした展覧会を観に静嘉堂文庫美術館へ行ってきた。

静嘉堂文庫美術館陶磁器だけでなく、黒を基調にした刀剣や印籠など、様々な工芸品が展示されている。

特に印象深かったのは、「柳流水蒔絵重箱」。江戸時代の5段の重箱。

静嘉堂文庫美術館だが、それ以上に印象的だったのは、来場者の多さだ。この美術館には何度か来たことがあるが、ここまでの混雑は初めて。やはり、「曜変天目」を前面に押し出した展覧会名が影響しているのだと思われる。もっとも、他の展覧会の時でも「曜変天目」は展示されていたのだが…。美術館におけるマーケティングということを、ついつい考えてしまう。もちろん、美術館側も、そのネームヴァリューは十分承知しているようで、「曜変天目顔ハメパネル」を作っちゃう気合いの入れ方だ。


「ヒルマ・アフ・クリント展」 @ 東京国立近代美術館25.6.1

東京国立近代美術館スウェーデン出身の画家Hilma af Klint(1862 - 1944)の回顧展を観に、東京国立近代美術館に行ってきた。

彼女は、同時代のアーティストに先駆け、抽象絵画を創案した画家と言われている。しかし、死後20年は作品を公開しないよう言い残したこともあり、その千点を超える作品群が再評価されるようなったのは1980年代以降で、21世紀になって、一挙に世界的に知られるようになったそうだ。今回の展覧会は、全て初来日となる140点を展示

まずは、初期の彼女の作品群が展示されている。写実的な肖像画や風景画、可愛らしい児童書の挿絵など、商業画家として活躍していたとのこと。

東京国立近代美術館しかし、彼女は王立芸術アカデミーで正規の美術教育を受けていた時期に、並行してスピリチュアリズムや神智学に傾倒する。交霊会に出席し、高次の霊的存在から与えられたのが、物質世界からの解放や霊的能力を高めることによって人間の進化を目指す絵を描くようにというお告げ。それを受けて、1906年~1915年にかけて製作したのが、全193点からなる作品群「神殿のための絵画」。これは、その最初の連作「原初の混沌」。

東京国立近代美術館正直、どっぷり精神世界にハマってしまった人による作品群という感じではある。

東京国立近代美術館 東京国立近代美術館圧巻は、「10の最大物」。人生の4つの段階(幼年期、青年期、成人期、老年期)についての「楽園のように美しい10枚の絵画」を制作するよう啓示を受けて、2か月のうちに描き上げた巨大な10点の絵。それが全て来日し、広い展示室の中央に設置された四角形の展示壁の4辺に並べられている。

東京国立近代美術館具象的な白鳥が、抽象的に変化していく連作「白鳥シリーズ」。根っからの抽象画家ではなく、具象と抽象、自然科学と精神世界を行き来するのが彼女の特色なのだと感じる。

東京国立近代美術館「神殿のための絵画」を完結させた後の、当時の科学技術の発展(Thomas Edison、Nikola Tesla、Marie Curieらと同年代)に刺激された作品、Rudolf Steinerが創始した人智学に影響を受けた作品、世界大戦を予言したような作品なども、たっぷり展示され、彼女の思想の変遷を辿ることができる。

スピリチュアリズム要素が強く、抽象絵画を創案した画家ということで予想していた人物像とはかなり違ってはいたが、強烈な印象を残す展覧会だった。


”CAMILA MEZA presents "Portal"” @ ブルーノート東京25.6.8

ブルーノート東京ムチリ出身のシンガー/ギタリスト/コンポーザー、Camila Mezaが6年ぶりのニューアルバム「Portal」を携えて開催する公演を観に、ブルーノート東京に行ってきた。

全く予備知識は無いのだが、ミュージック・チャージ無料の特典招待券を使用期限前に使ってしまおうと予約したのだが、果たして…

バックを務めるのは、
Gadi Lehavika(p
Ofri Nehemya(ds
Alejandra Williams-Maneri(key, back vo

開演。シンセの重低音にヴォーカルが乗る、ちょっとニュー・エイジ風の雰囲気。しかし、曲が進むにつれテンポが上がり、間奏では、Gadi LehavikaのピアノとCamila Mezaのエレキ・ギターが、たっぷりとソロを取る。これ、かなり好きかも。

Camila Mezaのギター・サウンドの心地良さは予想以上。ヴォーカルも安定している。Alejandra Williams-Maneriのコーラスが絶妙な味付けになり、Ofri Nehemyaのドラムスが疾走感をもたらす。そして、 ピアノだけでなく、シンセ類も操るGadi Lehavikaが、全体のサウンドをまとめあげている。この好バランスのバンドが演奏するのは、ニュー・エイジ、フォークロア、フュージョンといった要素が良い案配で溶け合ったCamila Mezaの自作曲。

特に本編ラストで演奏されたアルバム・タイトル曲「Portal」が、彼女の特色が全て凝縮されたような作品だった。二人の女性シンガーの声が重なる出だしから、ドラムンベースのリズムがせり上がり、たっぷりとしたギター・ソロが展開する。素晴らしい。

アンコールで、ロック色の強い曲を披露して、全編終了。予習無しに参戦したライヴだが、大正解だった。

因みに、彼女が曲に込めた世界観と、前日に観たHilma af Klintの絵画が、良い感じにシンクロしているように感じられたのも、楽しかったのである。



この後、集中豪雨と酷暑の季節が続くのかと思うと、一足飛びに秋になってもらいたいような気がする一方、それはそれで米が不作になっても困る。ちょうど良い具合の気候って、無理なんですかねぇ…。