このところ、週末だけで無く、仕事でも横浜に行く機会が増えています。町並みも、道行く人達も、東京とは違う感じに垢抜けた雰囲気。ここに住んでいたら、東京に行く必要性は感じず、地元愛が強くなるんだろうな、と想像します。
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93歳のJune Squibbが、実年齢通りの93歳のお婆ちゃん役で主演した映画を観てきた。邦題は、「テルマがゆく! 93歳のやさしいリベンジ」。
June Squibbが演じるのは、タイトルにもなっているThelmaという名前のお婆ちゃん。ある日、オレオレ詐欺に引っ掛かり、1万ドルを騙し取られてしまう。家族からはボケが始まったと心配され、意気消沈した彼女が目にしたのが、Tom Cruiseのインタビュー記事が載っている新聞。そこには、彼の写真と”Mission is Possible”の見出しが! それを見たお婆ちゃんは、自らの手でお金を取り返すことを決意する!というお話。
主役こそお婆ちゃんだが、スパイ・アクション映画を構成する要素がてんこ盛り。カー・アクション有り、肉体の限界に挑むミッション有り、コンピューターをハックする頭脳プレーも有る(乗っているのが老人用電動スクーターだったり、高い所に置いてある物を取るだけだったり、次々に表示されるウェブ広告をかいくぐってネット・バンキングを操作するだけだったりするが…)。お約束の、大爆発の火炎を背景に颯爽と立ち去る美男美女、というシーンもある。当然、Tom Cruiseにならって、全てのアクションは、CGもスタントマンも使わず、June Squibb自身が演じている。さらに、彼女の相棒を務めるのが、「Shaft(黒いジャガー)」のRichard Roundtree、というのも、アクション映画っぽいポイントだ(彼は、これが遺作となってしまった)。
そして、不謹慎なようで、ちゃんと愛情を感じる「爆笑・老人あるあるネタ」の数々。主人公は、監督・脚本のJosh Margolin自身のお祖母様をモデルにしているということだが、出演者もスタッフも、この映画に関わった人は全員、善人だろうなぁという雰囲気が溢れている。
ということで、大お勧め作である。あ、Tom Cruiseの存在感が、かなり凄いのも見どころだ。
David Bowieの遺作「Blackstar 」と同時期に製作されたミュージカル「Lazarus」の日本公演を観てきた。
1976年の映画「The Man Who Fell to Earth(Nicolas Roeg監督「地球に落ちてきた男」)」で、David Bowieが演じた地球に取り残された宇宙人、Thomas Jerome Newtonのその後を描いた物語。主人公を演じるのは、松岡充。
舞台中央に、山積みになったTVモニター。あとは、ベッドと椅子と冷蔵庫だけが舞台上にある。ここが、地球に取り残された主人公が、酒浸りになって暮らす部屋という設定。セットはシンプルだが、プロジェクション・マッピングなど様々な工夫が凝らされた舞台効果は見事だ。
観るまでは、観念先行の辛気くさい不条理劇かも、と危惧していたのだが、意外に分かりやすい話だと思う(もちろん、ディテイルを100%理解出来ているとは思わないが)。要は、居場所を失った魂の救済ということか。
いずれにしても、私の興味は、その音楽だ。David Bowieがこのために書き下ろした4曲を含む、全17曲のBowie作品。全て、英語のまま歌われ、舞台上に字幕で日本語訳が表示される。この字幕の使い方も巧みで、しっかり演出の一部になっている。バック・バンドの的確な演奏の中、松岡充ら出演者達の歌も上手い。
ただ、私は、ミュージカル・フォーマットでの歌唱は苦手だ。このバンドと松岡充で、17曲を普通にライヴ・パフォーマンスしてくれた方が… などと言ったら、バチが当たるかな。演奏曲の中では、特に、「It's No Game」(ミチ・ヒロタのアジテーション風の語りも見事に再現!)、「This Is Not America」(原曲からはかなりアレンジされているが、このヴァージョンも良し!)が好印象。その他にも「The Man Who Sold the World」、「Changes」、「Absolute Beginners」、「Life On Mars?」、「All the Young Dudes」などなど、好きな曲の連打が嬉しい。銃乱射事件犯の精神状態を描いた曲「Valentine's Day」の使い方も上手いなぁと思う。「Lazarus」など書き下ろし曲のクオリティも高い。ただ、唯一、「Heroes」については、この作品のアレンジではカタルシスを感じられず、残念。
ということで、ミュージカルをそれほど観たことが無い私でも、存分に楽しむことが出来た。と言っても、一番感動したのは、繰り返すカーテンコールの最後に、David Bowieの写真が大写しになったところ。ここでは、ちょっと泣きそうになってしまった。
上級国民の暴走を皮肉たっぷりに描くオーストリア映画を観てきた。邦題は「我来たり、我見たり、我勝利せり」。
主人公は、莫大な資産を成した著名な投資家で、家庭では子煩悩な父親。その投資から得られる利益のおこぼれに預かろうという人達に取り囲まれ、政府の要人達もその例外では無い。そんな彼の趣味は、狩り。それも、人間をライフルで撃ち殺す狩りだ。地元を震撼させる連続狙撃犯の正体は公然の秘密状態だが、上級国民の彼を止める者はいない。
ちょっと前なら、やり過ぎ感のある、荒唐無稽なお話で終わりそうな内容だが、現在だと、ほぼノン・フィクションじゃないか? という気がしてくるのが嫌なところだ。主人公は、どう見てもElon Musk氏っぽい訳だが、彼なら、こういうことをしていても、不思議じゃ無いと感じてしまう。映画の冒頭で引用されるのが、リバタリアンに多大な影響を与えたAyn Randの「The Fountainhead(水源)」というところに、製作陣の批判精神が確信犯的に現れている。
そして、この映画の真の怖さは、成金起業家の子供たちに、その価値観が(より強化されて)引き継がれる様を描いているところだ。この辺りも、Trump一族や、子供好きを公言するMusk氏のことを嫌でも思い出してしまう。
ということで、実に嫌ぁな作品ではあるが、極めて現代的で、ついつい見入ってしまい、記憶に残ってしまうのだ。
横浜在住の人が住まいを訊かれた時に、「神奈川県」ではなく、「ヨコハマ」と答えることに納得してしまう、今日この頃です。 |